グレート渡辺がつぶやく
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- 2014.06.05
- 21:33
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つぶやき
社長の話が興味深かったので、社長のつぶやきとしてメモってみました。
社長の周りのお客様や、業者さん、従業員、皆お付き合いの古い方が多いです。
社長は個性的な方とよく言われます。多分発想力、頭の回路?、が少し違うのか
なと思う時はあります(^^)
回転が早いので時々ついていけない事もあります(笑)
- 2014.10.14
- 22:18
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夢物語-1 笑 苦楽園
30歳の頃に、苦楽園でグレート珈琲を開店しました。
しかし、喫茶店はオープンの時のサービスや集金の未収、帳合商売などで、大変でした。
最高で「グレート珈琲」と喫茶店を三軒、「更紗」・「苦楽園更紗」・「グレちゃん」と営業しました。
しかし、フルーツ三昧のモーニングや、毎日売れても売れなくても食パン30本の仕入れ等々大変でした。
小売りも少しずつ増えてました。
しかし、こだわりの豆の大量仕入れ、サービス商品のおやつ、ペーパー、珈琲ミル、サーバー等々大量に仕入れていたのでいつも資金繰りが大変でした。
運転資金で借りた6000千万の返済も減らずダメだな、、と思ってた頃、ローンで
買った980万の倉庫(四軒長屋の内の一軒)が立ち退きで四千万近くで売れまし
た。27.8年前バブル後半の時でした。
そして倉庫売買の翌日、配達途中に売り土地の看板!三千数百万円の更地!買
いだな!すぐ店に戻り看板の不動産屋に電話し即金で購入しました。
次に立ち退きの時に世話になった不動産屋に、三千数百万で買った土地を1億2
千万でチラシを出させました。
「社長ー、売れました!」不動産屋が駈け込んで来ました。周りには「当り前や!大
した事はない!落ち着け!」と言ってましたが、僕自身夜眠れなかった!
これで借金返済です!27年位前の事です。
- 2014.06.05
- 21:31
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価格
- 2014.06.05
- 21:35
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焙煎
僕の自慢は、焙煎した回数と、釜を修理した事がないのと、何時でも普通に美味しい焙煎を、普通に出来ることです。
- 2014.06.05
- 21:33
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結婚式
おかあさん(妻 昭子)が見つけてきた式場で、1番安くしてくれと言い仏滅の日に
式場を予約しました。
配達の合間、二人で行き式を挙げ写真を撮りました。
二時間位で5万円ぐらいだったかな
おかあさんと出合って三年位たってたかな~^^;
僕は三十歳ぐらいだったな
17歳で九州から一人流れてきて、「流れ者には女はいらない」
をもっとうにしていました。誰とも結婚はしないつもりでした。
が、気が付けば何時の間にか入籍も済んでました(笑)
- 2014.06.05
- 21:32
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グレートタイタン
僕が好きな馬でした。
1977年~1981年に活躍しました。最後方から
追い込み差し切りで走る競馬!凄かった!精一杯走っ
て走って最後は天皇賞直前、追い切りの練習中に心臓
まひで倒れこみました。
僕の珈琲歴49年の次に長いのが競馬歴46年です。
30歳の時、西宮の苦楽園(くらくえん)で再出発、関
西コーヒー、昭和コーヒー、渡辺コーヒー等々色々考
えてた時のグレートタイタン!これだ!周りの人はカ
タカナ(洋風)の名前に反対しました。
グレート珈琲に決めました。
- 2014.06.05
- 21:32
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お母さんとの出会い
- 2014.06.05
- 21:34
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昔話 笑 大阪
- 2014.06.05
- 21:33
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柳のおばあさん
日生珈琲時代の、柳のお婆さんの事を思い出します。
柳のお婆さんは、始め自分で焙煎をして喫茶店を切り盛りしていました。
後に業者からも豆を仕入れだしたので、僕も売り込みに行きました。
豆の事も教えてくれました。「形の綺麗な豆より、豆の割れ方を見てこんなのが美
味しいんよ」とか
「渡辺君、あんたとこの珈琲一本に絞るから、今の珈琲を忘れたらあかんよ」て言
って僕の珈琲をとってくれました。
ある日、配達を終えての帰り道、柳のお婆さんが歩いてました。
声をかけると、「あんたの事が気になって、あんたとこ行く途中や」と。
ウチに来てもらって、うどんを食べながら少し話をし、柳さんを送っていきました。
柳さんと最後に色々話せて良かった。
その後は娘さんが後を継がれました。
今はその娘さんに、(喫茶店は辞められてますが)グレートの珈琲を愛飲してもらっ
てます。
- 2014.06.05
- 21:31
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